大袋地区賀詞交換会、来賓の吉田新教育長、黒田県議と、
遠藤袋山連合自治会長
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午前10時から、大袋公民館で大袋地区賀詞交換会が開催され、武藤大竹第二自治会長、臼倉大竹第一自治会長など大竹の皆さん6人と一緒に出席しました。市長、今年1月1日から教育長となった吉田茂氏、黒田重晴県議、大袋地区選出の5人の市議、各自治会の皆さんが集まり賑やかな新年会でした。司会を務めた西山大林東自治会長をはじめ、担当の大林地区自治会の皆さん、お疲れ様でした。
その後、合間を縫って中央市民会館前広場で開かれていた農産物産直フェアへ顔をだしました。午前11時半から12時くらいまでで、丁度お客さんが少ない時間帯だったそうですが、JA婦人部の皆さんがつくるお饅頭は製造が間に合わない売れ行きで、島村組合長も手伝う忙しさでした。「働く姿を撮るように」とのリクエストに沿って写真を一枚。
産直販売イベントは、昨年11月18日のとれとれの一周年、12月23日の農協直売所イベントと覗かせてもらいましたが、農家が軽トラックを乗り付けて作物を荷台で販売というのは実に面白いと思います。広場があればどこでも可能だし、産直というイメージが分かりやすいですよね。あっちこっちで、やってもらいたいなぁ。組合長も、「あんたの作った野菜のファンなんだよ」って言ってもらえれば、農家のやる気も違ってくると言っていました。生産者と消費者の気持ちの直結が、「産直」の本当の意味かもしれません。
産直フェアで買った花束を持って、手をつなぐ育成会の成人式&新年会へお邪魔しました。今年成人を迎えた方は一人でしたが、千草園、野の花のみんなが集まって、歌を歌ったりして盛大なお祝いになりました。私の成人式の時には、一人で電車に乗ってサンシティへ行き、また一人で帰ってきたのを思い出し、とっても羨ましく思いました。まぁ、その頃の自分が特別暗い青春を送っていたのか、とも思いますけど ・ ・ ・。
障害者のご家族の話を聞くと、当然のように自立支援法については多くの皆さんが不安を持っています。自立とは受益者として経費を負担することではなく、負担に耐えられるように社会参加する道を開くことでしょう。観光、農業、加工といった産業、環境、教育、福祉などを組み合わせた総合的な政策、事業を考えてみるよう地方自治体も、知恵を絞っていかないと対応できない時代になってきました。
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夕方からは久しぶりに東大へ出かけ、出身研究室(養蚕学研究室)の同窓会・新年会に出席しました。しかし、今は時代の波におされ中国など諸外国におされ、日本の養蚕業は絶滅?の危機に瀕しており、研究室も昆虫遺伝研究室と名称変更してしまいましたが。私は昆虫病理学が専門だったので、少し馴染めない感じもします。
写真は、「小柴先生ノーベル賞受賞記念碑」です。でも、驚いたのは碑の向かいの理学部一号館にドトールコーヒーがあったことです。しかも、すぐそばにはローソンまで。古い言い方だけど、「今浦島」だね。昔は生協しかなかったのに。
研究室出身の皆さんは、毎年は無理なので一年おきくらいに出席しているとかで、今年は当たり年らしく多くの先輩、後輩と旧交を温めることができました。先輩の話では、「昨年は知っている人が一人しかいなかった」そうです。企業、大学、独立行政法人と様々ですが、研究に従事している者がほとんどなので、私は「変り種」になってしまいました。
私が仕事を受託していたNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)に出向した先輩が、当時、一緒に仕事をしていてやはりNEDOへ出向になった製薬企業の方と机を並べているなどと聞き、本当に世の中は狭いな?と感じたり、楽しい時間を過ごしました。宇都宮大の先輩からは、「今年、学生が片倉(私が勤めていた企業)へ就職したから宜しく」と頼まれ、東京農工大の先輩からは、「学生が片倉を受けたが、落っことされた」と苦情を言われました。私のせいじゃないんだけど、久しぶりに片倉を訪ねてみようかな。
記念碑の向にはドトールコーヒーができ、
近くにはローソンまで・・
同窓会の会場風景
両手をあげて話しているのが恩師の小林正彦元教授
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農業生物資源研(旧蚕糸昆虫研)に勤める後輩に聞いた話では、私たちの頃は同級生の何割かが選んだ、大学院を出て公務員試験を受け研究者になるという道は、今は無くなったそうです。ほとんどの研究者は、何期かのポスドク(ポストドクター:博士号取得後、任期付の研究職についている者)を経験して、更に資源研でポスドクを経験し、ようやく正式採用になるとか。旧文部省は、研究開発力を高めるため大学院の定員を増やし、卒業した研究者に働く場を与えるため打ち出された「ポスドク1万人計画」を打ち出しました。しかし、ポスドク後の就職先であるはずの大学や研究機関の定員は増えなかった結果、大学院博士課程を出た研究者はポスドクからポスドクへと渡り歩き、30歳代半ばになってやっと定職を得るという事態が生じました。
ポスドクの契約期間はせいぜい2〜3年と短く、生活も安定しません。業績を上げながら、常に次の就職先を探している状態では、家族を持つ余裕もなかなか生まれないと思います。その上、40歳近くなってはポスドクに採用されることも困難です。私も民間企業の研究所にいたころ、研究力強化のためポスドクの採用を試みました。しかし、有名研究機関でポスドクを経験し実績を積んでいても、結局はベンチャー企業からベンチャー企業へと転職を重ね、40歳になってしまった研究者の採用には踏み切れませんでした。企業に馴染めるかどうか、人間関係は大丈夫かとの懸念が先にたち、結局は修士卒でも企業で研究経験のある若い人を採用しました。
安定した研究職に就けないまま転進も難しくなってしまったポスドク、高学歴ニート化させてしまっては、日本にとって大きな損失になってしまいます。優秀な人材は大学院へ進まず、民間企業を選ぶようになってしまいます。産業界にとっては喜ばしいことでしょうが、日本の研究開発の裾野がすぼまってしまうことを懸念しています。文部科学省は、もっと長期的な研究を仕事として選ぶ若者の人生を考えた政策を立案してもらいたいと願っています。
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