2007年5月31日(水
      
能登半島地震被災者を支援するための募金活動を行いました。


せんげん台駅東口で演説中の自民党・市民クラブの市議の皆さん、
なぜか違う方を見ていますが。
 朝9時半に集合し、せんげん台駅東口、北越谷駅東口、越谷駅東口、新越谷駅東口そして蒲生駅東口と、越谷市内5駅で能登半島地震の被災者支援募金活動を行いました。自民党越谷支部の活動なので、先の統一地方選で当選した自民党・市民クラブ所属の浅井明、江原千恵子、金井直樹、伊藤治そして島田勝三の各市議も街頭演説に参加されました。私も加えてもらって、災害対策の重要性について訴えさせて頂きました。私の順番の時には、金井市議が声を大きくと盛んにブロックサインを送ってくれました。○やら×やらと忙しく、いろいろなサインも出していましたが流石に野球のコーチです。





蒲生駅東口で募金活動中、決して怖くありません。
 災害に強い町を造るためには、河川改修、災害に際して非難するための道路や公園の整備も欠かせません。毎日の費えのために将来への備えや災害への備えを犠牲にしては、安心・安全な町はつくれませんよね。募金は、多くの皆さんのご協力で、当日だけで47,700円、これまでの合計では10万円以上も寄せていただきました。皆様、本当に有難うございました。千円札を何枚か入れて下さる方もいて、日本人の優しい心はまだまだ残っているんだと思いました。活動が終了したのは午後4時を回り、本当にお疲れ様でした。

 2007年5月30日(火)駐日ラオス大使が越谷を訪れました。


越谷駅東口で市政報告をする石川市議
今朝は、石川下公議員、江原千恵子議員、藤森正信議員と一緒に越谷駅東口駅頭で朝の挨拶をしました。やはり越谷駅は知っている方とも多く出会い、青年会議所の先輩や野球のチームメイトも車中から手を振ってくれました。励みになります。江原市議からは、「最初よりだいぶ上手くなったわよ」と言って頂きました。江原市議も幟旗を持ってきてくださいましたが、黄色地に赤い字なので結構目立ちます。








シートン・チッニョーティン駐日ラオス大使
 今日は、埼玉ラオス友好協会のお招きで駐日ラオス大使の、Sithong Chitnhothinh閣下が越谷にいらっしゃいました。何とお読みするのか自信がないので、そのまま表記しますが参考までに、シートン・チッニョーティンとお読みするようです。花田苑、リユース等を見学され、市長を表敬したのち、友好協会の役員の皆さんと会食を致しました。大使はまだ50才代前半で、ラオス大使としては最も若いホープだそうです。日本との友好だけではなく、経済的にももっと強い様々な結びつきを望んでいらっしゃるようです。中央で立っていらっしゃるのが大使、右隣の青年はラオスから東京工業大学へ留学している通訳ですが、日本語がとても流暢で見た目も日本人のようだったので、殆どの出席者は最後まで日本人だと思っていたようです。大使もおっしゃっていましたが、日本とラオスは「離れてはいるが兄弟の国」なんですね。大使の左隣のご婦人が大使夫人で、鮮やかな青の民族衣装を着ていらっしゃいました。


 2007年5月27日(日)ゴミ0清掃活動


水路にはヘドロがいっぱい
 朝8時から、自治会、班内の皆さんと清掃活動をしました。空缶やゴミ拾いはもちろんですが、水路のヘドロや雑草を取り除く作業が大変でした。皆さん、泥だらけになってスコップでヘドロを掃除し、ヘドロが詰まった土嚢袋が山積みになりました。この水路も、私が小学校のころには雷魚が住み、夏休みには1日で43匹もザリガニを釣ったことがありました。餌はスルメだったかなぁ。道路も舗装されていなかったし、周りはみんな田んぼだったけれど。この水路では、子ども達の良い思い出には残れないな。皆さん、お疲れ様でした。

道端のアスファルトの割れ目から生える雑草もいっぱい






 お昼には北部市民会館で開催されている、第8回登志和会発表会へ伺いました。会主の大輪登志峰先生には四季の会で歌って頂き、いつも応援していただいています。大輪先生に伺ったところ、韓国などアジアの国々にも民謡のようなものはあるけれど、日本の民謡とは違うとおっしゃっていました。確かに、日本人の心や体に染み込むリズムってあると思います。財政が厳しい時はとかく文化や芸術が軽視される傾向がありますが、心が荒む事件が多いこのごろ、無形のものに力を注ぐことも重要ですね。

 2007年5月26日(土)越谷市倫理法人会20周年式典


浦高同窓会総会
 母校浦和高校の同窓会へ出席しました。一昨年以来ですから、2年振りということになります。総会では創立110周年記念事業である「浦高百年の森」について報告がありました。荒川上流の寄居町に落葉広葉樹を植林し、下刈り、間伐などを続けながら水源を守る森づくりを進めています。昨年着任した前田富雄校長先生からは、4月から隔週で土曜授業を開始したことなどお話がありましたが、OBの皆さんは今年、東大合格が33名と公立校全国1位に復活したことに最大の関心を寄せていました。前田校長着任早々の成果と称える方もいらっしゃいました。私の時には確か59名でしたから、後輩達ももう少しですね。

 浦高は昔から文武両道を誇りとし、臨海学校は今年で50回目、古河強歩は来年で50回目だそうです。私も古河強歩では完走もしましたが、途中の道端で気を失いそうになり、先生が運転する軽トラの荷台に何人かまとめて積み込まれたこともあります。1年生の時には木造校舎でしたから冬になると寒く、学生服の上に柔道着を重ね着し、毎日捨てるのは面倒くさいと教壇を裏返しにして教室の後へ運び、ゴミ箱代わりにしていました。でも、先生は別に叱りもしませんでしたね。授業をサボって、教室の窓から見える校庭でラグビーボールを蹴ってる奴もいました。弁当は2時間目の休み時間に食べ、教科書を立てて食べ続けている奴もいました。はて、今もそうでしょうか?


OBによる講演「人口減少と日本経済」
今年は高17回卒の先輩たちが担当ということで、OBの法政大学教授 小峰隆夫先生による講演「人口減少と日本経済」という講演がありました。所得水準が上昇すると子育てコストが上昇するうえ、子どもが家計の担い手として期待できないという「経済学的説明」は納得できました。ここで、コストとは女性が子育てをするために犠牲にした「他に出来た事」をコストと考える、機会コストという説明も良くわかりました。少子化問題を解決するためには、児童手当や出産手当は発熱に熱さましみたいな対症療法でしかない。病気の原因は、女性が社会参画する際のコストを下げることによって解決できる。労働力を企業特化ではなく専門特化として評価して職場復帰しやすくすれば、企業を離れる機会コストは下がる。正社員とパートの格差がない、オランダ型の「同一労働、同一賃金」を実現する必要があるとのことでした。今後30年間は労働力不足が続くそうです。TVでも、中堅企業の採用担当者は、人が採れないと嘆いていました。日本の労働慣行というか社会構造を変えていかなければ、少子化も改善していかないということでしょう。


懇親会での応援団
 懇親会では、応援団の演舞がありました。私たちの時には、入学式の際に体育館にいきなり応援団が乱入してきて、無作為に新入生を指名して校歌を歌わせ、当然歌えないので竹刀を床に叩きつけて脅かされるという「儀式」がありました。当初、応援団は結構怖いとおもっていましたが、今の応援団は迫力無かな。もっとも、高3の時、夏の甲子園大会権予選で立教や市立川口を破ってベスト16まで進出するまではバンカラの応援を続けていたのに、シード校の所沢商業と当たったら突然ピンクレディーを歌いだした応援団ですから、もともと迫力は無かったのかもしれません。結果は、もちろん負けました。

 2007年5月25日(金)越谷市学校保健会総会・講演会


学校保健会総会後の講演会「食物アレルギー」
越谷市科学技術体験センター(ミラクル)で、学校保健会総会が開かれました。今年からPTAの本部に入ったので、初めての参加です。しかし、学校保健会を構成する医師、歯科医師、薬剤師といった方々に知り合いの方が多かったので、ホッとしました。

総会の後、越谷市学校保健会会長の大村純一郎先生(学校医)による、「食物アレルギー」という講演がありました。企業の研究所にいたころ、遺伝子組み換えでアレルゲンを作ろうという案が一瞬だけ出たことがあり、講演中にはちょっと懐かしい内容もありました。幸い私の子供たちにはアレルギーの兆候が見られませんが、1歳では10人に1人、小中学校ではクラスに1人はいるそうで、特別なケースではありません。食物と激しい運動が組み合わさって引き起こされるアレルギーもあると知り、これからも注意深く見守っていかなければならないと感じました。日本では子供のころは、卵、乳製品、小麦、青少年期には、蕎麦、エビ、小麦、成人になると魚、エビ、蕎麦と多いアレルゲンが変化していきます。これは年齢による食生活の変化を反映しているようです。米国では、食物アレルギーといえばピーナッツだそうで、国による違いも大きいようです。勉強になりました。


 2007年5月24日(木)越谷市倫理法人会20周年式典


三郷市三幸会ゴルフ大会表彰式
 三ツ林隆志後援会(三幸会)ゴルフ大会も今日で3日目、最後の三郷市三幸会の番となりました。会場は野田の紫CCに変わりましたが、真夏のような晴天も3日連続です。今日は国会本会議中であるため、三ツ林代議士は欠席でしたが、大会は盛大に開催されました。三郷市選出の鈴木義弘県議と隣だったので、先の県議会における自民党会派の件について話をしました。彼は、新聞では反主流派と表現されたグループに所属していました。私も今回の問題に関しては、会派の構成については正式の手続きを経て会議に諮るべきだと思いますし、筋は通すべきだと思います。少しでも大きな会派で議会に臨もうとすることは、民主主義という数の論理に従う限りやむを得ないのかもしれませんが、政策なき人事になりはしませんか。世代交代と政治変化の波は、確実に押し寄せているのですから。




越谷市倫理法人会20周年記念式典
 夕方からは、私が所属する越谷市倫理法人会の20周年式典が開催されました。10周年は行わなかったそうなので、初めての周年行事です。実はこの式典における私の重要な役割は、懇親会のアトラクション、倫理連の阿波踊りで太鼓を敲く事なのです。その為に、3ヵ月ばかり、週1回ずつ(欠席も結構ありましたが)練習してきました。全くの素人だったので、皆さんには迷惑をおかけしました。本番では、化繊の衣装のせいばかりではなく汗びっしょりとなり、緊張しまくってしまいました。倫理法人会にはあまり話をしていなかったので、皆さん私がいたので吃驚していました。ご指導いただいた蛯沢連長、コスモス連の皆様、有難うございました。お蔭様で、上出来とはいえませんが目立つ失敗も無く、無事に務める事ができました。太鼓は音がでかいので、失敗が目立つので困ります。

 2007年5月23日(水)北越谷駅東口で朝の挨拶


北越谷駅東口で朝の駅頭挨拶
 今朝は、石川下公議員、江原千恵子議員、藤森正信議員、そして白川秀嗣議員が一緒に駅頭で朝の挨拶をして下さいました。今朝の報告は、越谷市議会臨時会で行われた議長、副議長選挙についてです。21日から始まった臨時会は翌日未明までかかり、議長に中村譲二議員(新政クラブ)、副議長に伊藤治議員(自民党・市民クラブ)が選出されました。票数はいずれも32票中15票で、他は13票、4票でした。議長、副議長両名とも、行財政改革調査議員連盟のメンバーです。新政クラブは、今回の市議会議員選挙前の新風クラブと無所属の会が一緒になった会派で、新しい議員3名が加わって10名の最大会派です。自民党・市民クラブも選挙前の4名から新しく1名を加え、5名の会派となりました。

 調査議連では今回の市議選で主張していたように、議会改革は政策と議会人事をリンクさせること、つまり市政をチェックするとともに政策を実現するための議会を作り上げようとしています。今の選挙は、首長だけでなく議員もローカルマニュフェストを掲げて戦い、理想的には会派で共通したマニュフェストをつくり、その政策を実現するために議会の会派を構成するとつながって行く方向にあると考えられます。ならば、議長、副議長を取るための会派、人事を順番に回していくための会派構成は、もう過去のものになるのではないでしょうか。今、越谷市議会は大きく変わろうとしています。議会に呼応するように、執行部も慣例を守り既得権益を守るためではなく、市民のための政策を実現する姿勢に転換していかなければなりません。議会において、有益な議論が行われるようにするためにも。


ゴルフ大会の優勝賞品は自転車でした。
 午後は昨日に続いて、越谷ゴルフ倶楽部で開催されていた吉川市三ツ林隆志後援会(三幸会)ゴルフ大会へ、関口議員の代理で出席し挨拶をさせて頂きました。昨年までは、松伏町と吉川市の三幸会が合同で大会を開いていましたが、今年から別々に開催となりました。昨年は確か雨だったんですが今年は好天に恵まれ、皆さん十分にプレーを楽しまれたようです。出席されていた吉川の戸張胤茂市長に、今日の陳情の様子も直接お聞きしました。やはり、代議士の先生方と同行したため、冬柴国土交通大臣、尾身財務大臣に直接お会いできたそうです。東埼玉道路は地域産業の活性化ばかりでなく、国道4号の渋滞緩和と交通事故の減少を実現して、快適で安全な地域づくりのためにも必要な事業です。是非、早期の延伸を実現したいものです。

 2007年5月22日(火)サンシティ朗読の会、東埼玉道路建設促進期成同盟会総会

 午前中、サンシティ朗読の会へ出かけました。プログラム最初の夢枕獏作「ものいう髑髏」は以前読んだことがありましたが、朗読で聞くとまた違う味わいがあるものです。それぞれの朗読で、ギター演奏と組み合わせたり、二人で交互に振り向いて朗読するなど演出もあり、楽しい朗読の会でした。またご案内いただけたら伺いたいと思います。

 午後からは東埼玉道路建設促進期成同盟会の総会へ、関口議員の代理で出席しました。会長や事務局は、26年間ずっと越谷市が務めています。東埼玉道路は、平成16年度に八潮市八條から吉川市川藤まで側道が供用開始されました。私も草加や八潮へ抜けるときに時々利用しますが、直線的で信号待ちや渋滞も少なく利便性は高いと思います。確かに次第に交通量も増え、県道平方東京線など渋滞緩和の効果が見られています。その反面、現在の終点から松伏町ゆめみ野団地の生活道路を通過する大型車両が増加し、ゆめみ野団地内の交通事故件数は松伏町平均の18倍にのぼっています。そこで、住民の安全のためにも東埼玉道路を、春日部市水角まで早期に事業化してほしいとの要望がだされています。延伸される地域には、今年オープンした「県営まつぶし緑の丘公園」、「東埼玉テクノポリス」があり、その先には平成20年秋オープン予定の春日部市内の大規模商業施設もあります。

 実は昨年の総会にも出席したのですが、その際に要望書の国土交通省や財務省への陳情について、代議士秘書の方からアドバイスがありました。それは、「現在、越谷市役所の職員が要望書を持って県選出の国会議員や省庁へ届けているだけだが、これでは熱意が省庁へ伝わらず陳情の実効があがらない。是非、市町長が国会議員と一緒に各省庁へ陳情に行って欲しい」というものでした。しかし残念ながら、折りしも私が関口議員の参議院会館事務所に在室中、市職員が要望書の封筒を届けにき、アドバイスが生かされることはありませんでした。今回の総会で、期成同盟会の会長は始めて越谷市長から吉川市長に交代しました。そして明日早速、吉川市長、春日部市長、松伏町長が、三ツ林隆志代議士、土屋品子代議士とともに、国土交通省と財務省へ陳情に行くそうです。


松伏町三幸会ゴルフ大会表彰式の三ツ林隆志代議士
 総会終了前に失礼して、越谷ゴルフ倶楽部で開催されていた松伏町三ツ林隆志後援会(三幸会)ゴルフ大会へ関口議員の代理で出席し挨拶をさせて頂きました。この日は、車の温度計が車外33℃を示すという猛暑でしたが、皆さん元気にプレーされたようです。この日の話題は、なんと言ってもプロゴルフツアーで史上最年少優勝した石川遼君でした。石川君の自宅は会田重雄町長の自宅から100mくらいしか離れていないとかで、朝から報道陣が詰め掛けていたとのこと。知事が表彰するらしいので、松伏町はそれよりも早く表彰すると意気込んでいらっしゃいました。地元から、全国的に活躍する有名人がでることは名誉なことですし、町も知名度アップにもなりますね。参加者の皆さんは、「あんな息子が欲しい」なんて言ってましたが。

 2007年5月19日(土)越谷市国際交流協会総会・交流会


越谷市国際交流協会・懇親会で歌う野中百合子さん

台湾創作ダンス彩舞会の皆さん
 午後2時から、越谷市国際交流協会の総会が開かれました。昨年は出席できなかったので2年ぶりの出席です。昨年度の事業報告と決算、今年度の事業計画と予算、役員改選案など滞りなく承認されて総会は終了しました。ただし、会員数の減少、会費未納等により予算が厳しく、海外派遣生の個人負担金を増額したりしています。結局は、平成10平成年度まで毎年積み立ててきた基金を、17年度から取り崩して補填していますが、基金の残高は約1,000万円であり、あと6〜7年で無くなってしまいます。市からの補助金は400万円頂いていますが、民間主導で行ってきた国際交流をどのように存続させていくのか。ホストファミリーの皆さんへの感謝状贈呈もありましたが、多くの皆さんは派遣生と過ごすことによって得ることが多かったと感じていらっしゃるようです。協会役員やホストファミリーといった多くの善意に支えられている国際交流は、大切にしていきたいものです。  その後の懇親会には、台湾創作ダンス彩舞会の子ども達とオペラ歌手である野中百合子さんが出演し、楽しい踊りと素晴らしい歌曲を披露して下さいました。子ども達の踊りも華やかで楽しかったし、野中さんはお話をされる時にはマイクを持ち、歌う時にはマイクは要らないといった具合で、私の周りの方たちも感心していました。野中さんはボストンへ留学中で一時帰国したところとかで、時差ボケ等と話していましたが美しい声を聞かせていただきました。台湾に米国と、さすがに国際的な懇親会でした。しかし、残念ながら途中で退席して吉川市へ向かいました。




自民党越谷支部大会の模様

自民党吉川支部大会で挨拶する日暮支部長

 吉川市では、自民党吉川支部大会に関口議員の代理として出席し挨拶をさせていただきました。吉川市では今年は、市長選、県議選と自民党の推薦、公認候補が勝利しました。しかし、来年1月に予定されている市議会議員選挙では、定数が26から20へと削減されるため、自民党現職だけで11人いる市議の皆さんは厳しい戦いをしなければなりません。現在の越谷市の議員定数32はおよそ1万人に1人になり、吉川市と比較すると議員数は大分少ない計算です。定数削減も、度が過ぎては民意を反映しにくくなるのではないでしょうか。

 その後、自民党越谷支部でも大会が開かれているため、また関口議員の代理として出席し挨拶をさせていただきました。吉川でも越谷でも参議院選立候補予定者の古川俊治さんが出席されていましたが、配っていたあたらしいビラ、「健康10か条」に載っていた古川さんの写真、今までで一番良いですね。もちろん、ビラの内容も良いですけど。第1条 睡眠第一。から守りたいと思っているんですが。


 2007年5月17日(木)大袋小学校でPTA総会が開催されました。

 娘がお世話になっている大袋小学校でPTA総会が開かれ、私も監事として本部のお手伝いをさせて頂くことになりました。当日は総会途中から激しい雨となり、会場となった体育館は屋根を叩く雨音で各役員さんの声が聞き取れないほど。子ども達も帰宅する事ができず雨が止むまで待機したため、担任を持つ先生方は総会に出席していただくことができませんでした。総会終了の頃には、明るい日差しもでて一安心しましたが。


大袋小PTA総会の模様

 総会が開かれた体育館は、私が卒業するころに完成し、私たちの学年が始めてこの体育館で卒業式を行う幸運に恵まれました。その時、泣いていたクラスの女の子を不思議な気持ちで見ていたこと、今でも覚えています。小学生の時には、卒業の感慨なんて余り感じていなかったように思います。大袋小学校は、私の父、祖父、曽祖父も学んだ長い歴史を持った学校です。私が卒業した時には6クラス、その時の1年生は、17クラスくらいあって校庭にプレハブ校舎を建てて、授業を行っていたと記憶しています。その後、大袋東小、大袋北小、千間台小が開校し、今では大袋小も1学年2クラスのこじんまりとした小学校になりました。私が入学した時は3クラスでしたから、転校してきた子どもたちで学年の児童数が2倍になっていたんですね。

 総会が開かれるまでは、1日おきくらいのペースで役員の皆さんが学校に集まって、資料作り、総会や親睦会の段取りや準備に忙しく、PTAの役員ってとても忙しいんですね。何年も務めている方には心から感心と感謝です。私も微力ですが、お母さん方が多いので力仕事とか一所懸命がんばります。皆さんのお話を聞いていると、保護者の方、先生、地域との係わり、勉強に部活動と、考えていかなければならない課題は多いようです。県から市、そして地域と、教育の現場をかたちづくる主役を、より身近なところへ移行させていく必要があると思います。

もちろん家庭が一番大事なんですが、虐待や育児放棄といった場合を除いては公が介入することは困難です。少しでも危険な兆候がある場合には早く措置ができるように、更なる検討を期待しています。親の人権もあるでしょうが、公は保護を必要とするより弱い立場の子どもの人権を優先しなければなりません。子どもは親の私有物ではなく、社会を構成するメンバーの一人ですから。


 2007年5月16日(水)せんげん台駅東口で駅頭

 午前6時半のせんげん台駅、大袋駅よりも人は多く、先週に続いて日差しが明るい朝でした。今日は石川下公議員、江原千恵子議員、藤森正信議員、そして千間台東が含まれる桜井地区の白川秀嗣議員と金井直樹議員も、一緒に参加してくださいました。


朝の駅頭演説をする、金井直樹市議
 朝の挨拶と一緒にいくらか市政に対する考えを述べさせていただいていますが、今日は昨日傍聴した経済産業部会・事業承継問題検討小委員会で報告された、長野商工会議所が取り組んでいる事業承継マッチングの事例紹介についても、話をさせて頂きました。事業承継小委は、各地域で問題になっている地場産業の衰退やシャッター商店街につて、政策的にどのように解決していくかを、各地域の事例を調査しながら経済産業省とともに検討する委員会です。前回傍聴した時には、商店や企業を相続によって継承する際の税制についてと、居住スペースと一体化した店舗を他社に賃貸する場合の補助金について、問題提起がされました。昨日は、非上場株式の評価法について、中小企業庁側から報告があった後、長野商工会議所と東京商工会議所、日本M&Aセンターから事例紹介がありました。

 現在、全事業所中概ね3割、地方によっては6割が後継者難で廃業予備軍であるそうです。これはそのまま、空き店舗の増加、市街地の空洞化、伝統工芸や技術の衰退、そして雇用機会の減少による地域経済の衰退へとつながって行きます。長野商工会議所では、市内全事業所を訪問して実態を調査し、平成14年から事業承継支援センターを設立、これまでに100件近い事業承継を成立させてきました。特徴的と思えるのは、新規創業支援事業とタイアップしてマッチングを行っている点、そして承継後も、交流会やインターネットによる紹介、会議所発行のフリーペーパーによるお店紹介、更には顧客の紹介までフォローアップが徹底している点です。

 事例報告をされた専務理事は民間企業からスカウトされた方で、まず会議所職員の意識改革から取り組んだと話されていました。越谷において事業継承支援事業を考える場合にも、単なるアンケート調査ではなく、足を運んでの現状把握と、親身になったフォローアップが鍵になると思います。


 2007年5月13日(日)出羽地区野球大会、準決勝戦と決勝戦

 昨週の予定だった、出羽地区野球大会の準決勝戦と決勝戦が行われました。1部復帰を掛けた試合なので、絶対に勝たなければなりません。しかし日程が変わったため、レギュラーが4人も欠けていて大変なことに。
 準決勝は、越谷市立西中学校との対戦です。中学生相手となめてはいけません。毎日練習している上に、我々おじさん達の10倍は元気だし声も良く出ています。しかも、我々には「中学生に負けたら洒落にならない」という重いプレッシャーがのし掛かります。選手のお母様たちの黄色い声援も耳に入るし。


準決勝では、強敵越谷市立西中学校と対戦


 前半に1対2とリードされてしまい打線は湿りっぱなし、「もう1点取られたら負けだな」と言っていたら、5回裏にその1点をエラーがらみで取られてしまいました。しかし、6回表に山下智史選手が反撃のホームランを右翼へ打ち込み、流れが変わりました。最終回の7回表、一挙に3点を取って5対3と逆転し、勝利を納めることができました。
 私も途中から交代して、最終回には公式戦で始めてヒットを打ち、ライトの守備では7回裏にライトフライを転倒しながらも好捕(実は足がもつれてボールを落としそうになったのですが)して、僅かに勝利に貢献することができました。西中のピッチャーのボールはとても速くて、ビューッと音がして向かってくるために最初の打席は三振でした。でも、根本一三助監督の「見逃すな、思い切って、必ず振れ」という助言に従うと、不思議と打てるようになりました。迷っては打てないものなんですね、勉強になりました。


対谷中ファイターズ戦、最後の打者を打ち取り優勝


 決勝戦は谷中ファイターズと戦い、幸いにも前半に大量リードできて12対2で優勝することができました。私も始めてスターティング・メンバーとしてでましたが、緊張してしまって1得点のみ、守備でも打撃でも良い所はありませんでした。今度、バッティング・センターで練習することにします。
 表彰式では、2部優勝の賞状とカップを頂きました。最優秀選手は、1回戦、準決勝と好投した藤沢直晋選手。会長からは、「西中の監督が、大人のチームと試合させてもらい、子ども達にも良い勉強になりましたと仰っていました。中学生相手でも本気で戦っている姿勢が良かった」と挨拶がありました。でも、本気でなかったらきっと負けていたと思いますが・・・。開会式の時、松沢県議に「がんばって優勝して下さい」と言われ、「私が出なければ優勝できると思いますが」と答えたけれど、出ても優勝できて本当に良かった。
 試合の後、みんなで昨年亡くなったチームメイトの岩田さん、安藤さんのお墓へ、優勝の報告に行きました。きっと、喜んでくれたことでしょう。


メンバーが帰ってしまったのでちょっと寂しいですが、優勝カップと記念写真


 2007年5月9日(水)地元大袋駅で朝の駅頭挨拶を始めました。

 一昨年の越谷市長選挙以来一年半ぶりに、朝の駅頭での挨拶を行いました。自民党越谷支部の街宣活動や、行財政改革調査議員連盟の夕方の街宣活動に参加したことはありましたが、朝は久しぶりです。県議選では毎朝、駅頭に立ちましたが法定ビラを配るお手伝いで、マイクは握りませんでしたから。


大袋駅朝の挨拶

 朝6時半の駅はまだ通勤客もまばらですが、既に日差しは明るく清々しい空気に満ちていました。7時を過ぎると人の往来も盛んになり、時々、知り合いの方が声を掛けてくださいます。市議会議員の石川下公さん、江原千恵子さん、藤森正信さんも一緒に参加してくださり、先の選挙のお礼も交えながら市政について報告して下さいました。皆さん、私をしっかりと教育しながら、協力して越谷市政の改革を進めようと訴えて頂きました。皆さんに支えられて導かれて、私も頑張ることができます。有り難うございます。
 私も、地元については西大袋地区区画整理事業の早期完成、大袋駅西口の開設、東口の再開発を、市政全般については農業の振興、先端技術産業の誘致、地場産業の活性化について話をさせて頂きました。しかし、緊張してしまって話が前後したり尻切れトンボになったりで、もう少し修行しないと、と反省致しました。10分くらいで要領よくまとめられるように考えます。
 これから、徐々に街宣活動を始めていきますので、私を見かけたら一声掛けていただけると励みになります。宜しくお願いいたします。



 2007年5月4日(みどりの日)
      三重県議会議員 村林聡君が越谷を訪ねてくれました。

 午後、先の市議会議員選挙で当選した原田秀一市議会議員の選挙結果報告会が開かれました。32番目の当選という結果であったので、集まった支援者の皆さんも喜びのなかに安堵が交じり合った面持ちでした。でも、「今度はトップ当選するぞー」と、結局はいつもの元気な原田応援団の皆さんでした。
 三重県度会郡選挙区で現職議長(無所属)と競い、10,512票を得て見事に2位で当選した、村林聡君(自民党公認)が久しぶりに越谷を訪れました。名古屋から夜行バスで来たとかで、いきなり北千住から、「着きました」との電話が入ったそうです。彼は、私の選挙前から半年間、ずっと朝の駅頭から一日中一緒に手伝ってくれ、選挙後は郷里の三重県に戻り、三ツ矢憲生代議士の秘書をしていました。現職県議の勇退を受けて急遽出馬したそうですが、お父上の出身地である南伊勢町で健闘し、見事に当選しました。
 選挙区は4つの町で構成され、有権者は4万4,000人弱。選挙区内に駅は無いそうで、道端に「本人」と書いたジャンパーを着て街頭演説していたそうです。それが徐々に噂になって広まったそうで、「口コミ」って怖いですね。山あり海ありの漁業の町らしいのですが、住んでいたところは人里離れていて、新聞を取ろうとしたら「配達したら割が合わないから」と断られたなんて言ってました。本当かなー、脚色もあるかもしれませんね。
 海は素晴らしくきれいだそうですが、交通の便が悪く、スキューバダイビングなどで観光客が訪れても漁業との兼ね合いで制限されたり、釣りに来た人が寄ってお金を落としていくような施設が無いと、漁業以外で生きていく道がなかなか切り開けないようです。といって、漁業も成功している人はいるのですが、多くは年金があるから食べていけるレベルであり後継者もいない状況とか。海沿いには対向車とすれ違えない県道も何ヵ所かあるそうで、県議会議員として道路などライフラインの基盤整備、産業振興から町おこしと、仕事は山ほどあるようです。


村林聡三重県議会議員

 まだまだ集落の結束が固い保守的な地域のようですが、町を変えてくれる未だ30歳の若者に期待している面も大きいと思います。遣り甲斐あるんだから、是非頑張ってもらいたいな。越谷に生まれ育った私には、話だけでは理解できないところもあるので、一度行ってみないことには。違いが大きいということは位置エネルギーも大きいわけですから、面白い協力ができるかもしれません。
 写真は、越谷でお世話になった(お世話した?) 皆さんとの夜の歓迎会のあと、少し酔っ払った村林君です。当時より少し顔が膨らんで、ますます「カールおじさん」みたいになったけれど、浅井明市議の家に泊まり、翌日も松沢邦翁県議に車を借りて越谷中を挨拶廻りしていた、中身は相変わらず律儀な彼のままでした。



 2007年5月3日(憲法記念日)春日部市大凧あげ祭り

 去年に引き続き、今年も春日部市大凧あげ祭りに関口昌一参議院議員の代理で出席しました。ゴールデン・ウィークとは無縁なので、密かに家族サービスも兼ねることにして妻と子ども3人と一緒に出掛けました。今年もお祭りは好天に恵まれ、旧庄和町宝珠花の江戸川河川敷は草いきれでムッとするようでしたが、土手の上に登ると川風が気持ち良く吹いていました。


開会式で挨拶する石川良三市長

 午前11時からの式典は石川良三春日部市長の挨拶で始まり、三ツ林隆志代議士、土屋品子代議士、当選したばかりの県議会議員の皆さんも全員出席され、近隣の中野和信蓮田市長、榊原一雄宮代町長、春日部市議会議員も多数出席されていました。
 宝珠花の大凧は江戸時代後期から繭の豊作を祈って始まったそうで、「繭の値段が上がる」を「凧があがる」にかけているとか。その後、端午の節句のお祝いも兼ねたイベントとなり各戸がバラバラにあげていましたが、徐々に凧が大型化して共同であげるようになり、明治中期には今の大きさ、縦15m、横11m、重さ800kgの大凧となったそうです。


大凧は、縦15m、横11m、重さ800kg.






 予想見物客は10万人、歴史のあるイベントを生かして観光客を集めることは、市の知名度アップにつながりますね。歴史を急に作ることは無理ですが、掘り起こす(探し出す)こと、拡大することは可能です。
 大凧に書かれる文字は市民からの公募だそうですが、今年は「地球」と「環境」でした。ちなみに、地元に土屋環境副大臣がいらっしゃるから、と言うわけではないそうです。


小さな凧でも、子ども達と比べるとこの大きさです。