2007年8月26日(日) 大袋幼稚園キャンプファイアー


若草少年野球選抜大会の開会式
 早朝7時45分、越谷市民球場に集合し、若草少年野球選抜大会が開催されました。埼玉県東南地区から選抜された少年野球チームが、日頃の練習の成果を競う夏休みに開催される大会です。つい先日終幕した夏の甲子園大会に負けないような、良い思い出をたくさん作ってもらいたいと思います。そして、暑さにも負けないで。
 午後からは大袋幼稚園に集合し、年長組対象のキャンプ・ファイアーの準備です。お父さんの会がメイン行事?を担当する重要なイベントです。カレー作り、キャンプ・ファイアーの薪組み、点火の際の「火の神」や「インディアン」といった演出、お父さんの会恒例の出し物?、全体の流れやBGMまで皆んなで協力して作り上げていきます。仕事の合間に土日や夜を利用して集まり、企画、準備、練習するメンバー達には、本当に感心します。特に出し物の「ビリーズ・ブースト・キャンプ」はCDを持ち帰って自主練し、土曜ごとに集合練習しました。大変なもんです。


カレーをよそう?、よそる?

カレーを食べる
 私は司会をしましたが、メイン司会の八木橋さんがきっちり台本を作ってくれたので、アドリブとばして会場インタビューしたり、とかなり自由(適当?)に動き回っていました。結構楽しかったんですが、インタビューしようとすると園児は元気に応えてくれるのですが、お母さんにはドン引きされてしまいました。
 昨年のカレー作りは、幼稚園の先生達と和気藹々と行ったのですが、今年は先生とお父さんの会は別々の部屋で作業していたので楽しくなかった?とか。私は、会場となるグランドで司会の打ち合わせをしていたので分からないのですが。「今年は新人先生が多かったので警戒されたのだ」と、実しやかに囁かれていました。来年は、また仲よく人参を切りたいな。そうそう、今年のカレーは人参が大量に入っていて、カレーをよそい終わると鍋の底に人参が層を作っているほどでした。だから最後のほうは具が人参だけになってしまって、申し訳ありませんでした。
 ビリーズ・ブート・キャンプには私も加わりましたが、お母さん方に顰蹙をかわないかどうか不安でした。ところが、見ているお母さんたちも一緒に踊りだし、子ども達も一緒になって踊る大盛り上がりでした。いやぁー、私はチョビットですが練習した甲斐がありました。子ども達も、夏休み最後の良い思い出になったことと思います。唐沢リーダー、お疲れ様でした。仕事が忙しいお父さん達が、子ども達のためには一生懸命時間を作って、楽しませてあげよう(自分達も楽しんでいる面はありますが)とがんばる姿は素晴らしい。大袋幼稚園の子ども達、ただふざけているように見えるお父さん達は、一生懸命練習して、腰が痛いのも我慢して(これは私だけかもしれませんが)、ふざけているんです。分かってね。




「お父さんの会」のビリーズ・ブート・キャンプ


 2007年8月24日(金) 話し方・言葉遣い


越谷駅頭で投票を呼びかける菊地貴光市議

 早朝6時半から、久しぶりに倫理法人会のモーニング・セミナーへ出席しました。講師は吉川市倫理法人会の加崎勇吉川市議でした。加崎先輩は吉川青年会議所のOBでもあり、上田知事が新越谷駅へいらっしゃった時に吉川市から付き添って来ていました。その時、「今度、講師でいらっしゃいますよね」という話をしてしまったので、眠い目をこすりこすりの出席です。記憶に残ったのは、「三角形と言うと真面目な人は正三角形を思い浮かべるかも知れない。でも、二等辺三角形を思い浮かべる人も、その他の三角形を考える人もいる。話し方としては、しっかりと自分のイメージを説明できなければならない」というところです。
確かに、知識や経験が違う者同士では、同じ言葉から想起されるイメージは異なって当たり前です。我々は、「三角形」と言われると出来るだけ特殊でない三角形、どの辺の長さ・角度も異なり、直角だったりしない三角形を思い浮かべるように訓練されていますが、これは一般的ではないんでしょうね。仕事を頼んで説明が足りず、予想しない結果が出てしまってから「常識で考えれば分かるでしょ」って言う事、時々あります。この「常識」というのも、なかなか当てにならないものです。
 午後は大袋小学校で、学校・家庭・地域連絡会議に出席しました。校長先生をはじめとして教師、学校評議員、各自治会の民生委員、学童保育指導員、PTA等さまざまな人達が集まって、子ども達や学校について話し合う会議で、今回初めて開かれました。これから地域全体で学校の長期的な方向性・計画、運営などを考え、地域の人達の知恵を生かして子ども達の教育をより良いものとして行かなければなりません。今回は学校側から、「児童の正しい言葉遣いについて」という課題が提案され、参加者全員で意見交換がされました。 
私の娘も、時々は女の子とは思えない乱暴な言葉を使っています。それでも、TPOに合わせて使い分けができれば良いとおもいますが。学校では、音読会を開いたり、詩の暗唱をさせているそうです。日本語として美しい文章を読み感動し、大きな声で朗読することも大切な国語教育だと思います。ただ、小学校の国語教育として最低限身につけなければならない事は、文章によるコミュニケーション能力です。面白みは少ないのかもしれませんが、紀行文や自然科学に関する説明文を読み書きさせ、自分が得意な物事について発表させる授業に力を入れてもらいたいと、私も意見発表をさせて頂きました。


阿波踊り最後の練習(休憩?)風景
 夕方からは、越谷青年会議所が開催した鈴木宗男代議士の講演会(例会)を聴きに、中央市民会館の劇場へ出かけました。開会のセレモニーまで時間があったので、越谷駅駅頭で行われていた、市内では知事選最後となる駅頭ビラ配布のお手伝いに行ってきました。市民の関心が薄そうなので、投票率が心配です。鈴木代議士は、徹底した行政改革の必要性、社会格差・地域格差を解消していくため小泉型改革路線の修正を訴えていました。地域格差については、首都近郊にいると感得し難いのですが北海道では切実な問題なのです。村落から拡大してきた日本では均質な社会が理想とされ、欧米型の努力と運で勝つチャンスがある(負けるリスクもある)社会は馴染まないのかもしれません。
 残念だったのですが講演会を最後まで聴くことはできず、明日に迫った阿波踊りの練習に参加しました。もっとも、中央市民会館の川沿いのテラス下で練習するので、同じ会場にいるようなものですが。子ども達もたくさん参加して、最後まで決めるところの打合せに余念がなく、明日が楽しみ(少し不安)です。

 2007年8月23日(木) 上田清司埼玉県知事が一日、新越谷駅駅頭に立ちました。


応援演説をする江原越谷市議、支持者と握手する上田知事

 今日は朝7時から新越谷駅東口に上田知事が立ち、丸一日(午後6時まで)駅頭で挨拶をし、市議・県議・一般市民の皆さんがリレー応援演説を行いました。前回も行ったそうですが、埼玉全県で展開する選挙において1日を新越谷駅で費やするというのは思い切ったやり方に思えます。県内幾つかのターミナル駅で実施するそうですが、サラリーマン層いわゆる埼玉都民を重視した選挙戦なのでしょう。
 この春の統一地方選から、首長選(知事、市町村長選)に限って、ローカルマニフェスト(選挙公約ビラ)の配布が可能となりました。埼玉県知事選の場合、マニフェスト作成の上限は1候補当たり30万部です。およそ160万円までの作成費が公費から支給されるようです。上田知事陣営も、県選管の証紙を貼ったA4版三つ折のマニフェストを配布しました。ただし、証紙を貼った名刺型二つ折のビラも配布していましたから、A4版と併せて30万部ということでしょう。
 これらのマニフェストには政策と共に候補者名や顔写真を掲載することができます。これまでの首長選では、選挙中には名前や顔が掲載できない確認団体ビラしか配布することができませんでした。不思議なことに、候補者と掲げる政策が一致しないように規制された選挙を戦わなければならなかった訳です。今回の改正は、殊に市長選を戦う上では大きなメリットを与えてくれました。
 さて新越谷駅では、私も2回で併せて45分ばかりマイクを握らせて頂きました。知事のマニフェストにある治安の回復は、新越谷駅周辺では特に関心が深い問題です。現在、越谷市でも副市長が2人必要かどうかを端緒に議論されている行政改革についても、マニフェストでは具体的な職員数の削減目標を掲げています。緑と川の保全についても、水郷といわれる越谷市を、田園風景を残しながら利便性の高い都市として開発を進めるために、適切な政策を考えておかなければなりません。私も行革議連の皆さんも積極的に考えている産業振興についても、具体的な数値目標を掲げており、我々も同様に考えていく必要があります。越谷市政を運営して行く上で、県政との協力関係は円滑にしておかなければなりません。政策的にも整合性とれていれば、より効率的に政策を実現していくことができます。


上田知事と写真を撮って頂きました。

リレー応援演説もしました。

 2007年8月20日(月) 埼玉県知事選挙のため朝の駅頭

 今朝は早朝7時から、せんげん台駅東口で上田清司埼玉県知事の確認団体ビラの配布を行いました。今回の知事選挙では、自民党は現職支持をだしています。東口には、松沢県議、公明党の久保田県議をはじめ、新政クラブ、自民党・市民クラブ所属の市議の皆さんが集まり、知事選挙への投票(無風といわれているので、投票率が心配です)と、上田知事への支援を呼びかけました。西口では、高橋県議をはじめ民主党の皆さんが応援に集まっていたようで、呉越同舟とはいきませんでした。
 確認団体ビラは、B3版四つ折のもの(法定ビラ1号)、ウチワ型で裏面にマニフェストが記載されたもの(法定ビラ2号)です。朝から猛暑の兆しがあったためか、ウチワ型ビラは受け取ってくださる方が多かったように思います。今春の統一地方選挙や参議院選挙と比較して、ビラを取ってくださる率が特に低いとは感じませんでした。でも、お盆週間明けのためか未だ通勤の方々は少なめだったような気がします。
 午後2時10分、新越谷駅東口に上田知事がいらっしゃいました。とても日焼けしていましたが、元気にビールケースに乗って、沢山のパネルを使いながらマニフェストの説明をされました。足を停めて聞く聴衆は20〜30人、時間は30分ほどでしたが熱心に聞き入っていました。パネルを使ったこのような駅頭は余り見かけないやり方ですが、ちょっと見えないかもしれません。ここには細川代議士もいらっしゃって、県議・市議も党派・会派を超えての応援となりました。


新越谷駅東口でビールケースに乗って
マニフェストの説明をする上田知事

早朝のせんげん台駅でビラを配る

 2007年8月19日(日) 久伊豆神社第三鳥居の清掃


きれいになった鳥居の前で記念写真

 朝9時、久伊豆神社に集合し第三鳥居の清掃奉仕を行いました。清掃奉仕は3年ごとに行っているそうです。第三鳥居は平成7年、伊勢神宮の第61回遷宮に際して皇大神宮板垣南御門を拝領して再建したものです。足場を組んでコンプレッサーで水を吹き付けると、灰色だった柱から生地の色が現れてきます。その後、雑巾で磨いていきますが高い場所での作業なので、投げ落とされた汚れた雑巾を濯いで絞り、投げ上げたりバケツに入れてロープで引き上げたりして、作業を進めていきます。木材の割れ目にはシーリング材を充填して修理していきます。土台石や石碑、案内板なども水を吹き付けて苔や汚れをおとし、たわしや雑巾で磨いていきます。
 今年は多くて、30人ほどの参加者がありましたが、それでも清掃奉仕は正午になってようやく終了、炎天下で3時間ほどの作業となりました。私は雑巾を投げ上げたり(ご婦人には難しいので)、石碑を拭いたり、後はもっぱら記録係として写真を撮っていました。3年に一度ですから、記録する機会はあまり無いんですよね。
 午後1時半からは江原ちえこ市議のボウリング大会に顔を出しましたが、15日の家族サービス?で腰を捻挫(お医者さんでレントゲンまで撮りました)してしまい、ゲームは大事をとって遠慮しました。大会は暑い中にもかかわらず、100名弱の参加があり盛会でした。
 午後3時半からは、金井直樹市議の市政報告会・地域交流会に出席しました。60名ほどの地域の皆さんが、副市長を1名に削減する条例案について、また窓口業務の時間延長や日曜開庁などの一般質問について熱心に聞き入っていました。折りに触れて市政報告会を開き、後援会活動や駅頭での街宣活動を行っていくことが、政治家として説明責任を果たしていくことにつながります。越谷における政治活動も、随分と都市化してきたように感じます。
 夕刻6時からは、地元大竹自治会の地区体育祭選手団の結団式がありました。今大会、大竹自治会は9連覇がかかっています。早速、子ども玉入れや集団縄跳び、大人の玉入れ、集団縄跳びといった練習が始まりました。これから、9月2日の大会に向けて、1日おきに練習が行われます。
 練習の後は、大袋幼稚園のお父さんの会が担当するキャンプファイアーの打ち合わせがありました。年長さんが参加する行事なので、去年は腰蓑を着けてインディアンをやっていました。でも、今年は次女が年長なので司会を手伝うことになりました。進行が頭に入ってないので、ちゃんと練習しておかないと。


鳥居に雑巾掛けをして行きます。

割れ目もちゃんと修理します。

案内板もきれいに

江原市議ボウリング大会

金井市議市政報告会と地域交流会

夜の子ども玉入れ

 2007年8月18日(土) 残暑が気持ち和らぎました。


御殿町納涼会のフラダンス

弥十郎納涼会でもフラダンスや阿波踊りが披露されていました。

 今日は朝から曇りがちで、少し残暑が和らぎました。お盆も終わり、各地区で行われていた納涼会や盆踊りも大体終わりです。越谷地区御殿町は元荒川沿い、宮前橋のたもとに集会所があります。川風が涼しく、対岸は天嶽寺と久伊豆神社の杜というロケーションです。フラダンスは場違い?かも知れませんが、子ども達も参加して楽しく踊っていました。小さな自治会ですが長く住んでいる方が多く、家庭的な納涼会でした。去年は食べられなかった「松坂牛」、今年はしっかり頂きました。ご馳走さまでした。
 弥十郎では、5自治会が合同で納涼会を開催していました。弥十郎には1,700世帯ほどあるそうですが、1,600世帯ほどは自治会に加入しているそうです。自治会加入率は比較的高いと思います。弥十郎では、1〜5丁目へ変更という要望もあるそうですが、地元の意見統一が行政側から投げ掛けられ、進展していないそうです。弥十郎は産業道路が通って、すっかり街のようすが変わりました。将来を考えれば、地番の整理は必ずしなければならないでしょう。舞台上では、地元の皆さんが様々なアトラクション(かくし芸?)を披露していました。駅までの距離などを考えるとやや不便な面もあるようですが、ご近所付き合いなどのコミュニティは快適で住みやすい地区だそうです。新しい住宅もどんどん増えているので、利便性の向上とともにコミュニティが失われないよう願っています。


 2007年8月15日(水) 国立科学博物館へ


T-Rexと記念写真

 末っ子が「恐竜が見たい」と言うので、上野の科学博物館へ行ってきました。ちょうど、マヤ・アステカ・インカ展を開催していたため、大変な混雑でした。マヤ文明は紀元前400年頃から紀元1500年頃まで、中米ユカタン半島を中心に2,000年近くも栄えた文明です。小学校で習ったように、世界四大文明はみんな大河流域に栄え、小麦などの作物を大量に生産するため灌漑工事が進められ、権力を持つ者が生まれ貧富の差が広がり、農業従事者、耕地、水といった富を生み出す物を求めて、集落が統合され国家が誕生しました。金属器を持った者はより効率的に作物を生産し、より豊かな実りを得るために暦が発達した。しかし、マヤ文明はピラミッドのような巨大建造物を作り、暦や文字を持つ文明でありながら、大河もないジャングルに栄えた異質な文明です。大規模な農耕を行わなかったために統一国家は生まれず、多数の都市国家が興亡を繰り返していたそうです。暦も文字も宗教的な必要性から生まれたものらしく、国家や文明が農耕という経済的な側面からだけではなく発生してくる例証でしょう。ただし、宗教的な社会に留まっていると地縁血縁以上に拡大していかないでしょうから、国家といっても都市国家(集落?)なんでしょう。でも、巨大な建造物を作る生産力はどこから得ていたのでしょうか。
 アステカ文明は14世紀から16世紀に栄え、現在のメキシコシティーは、その首都テノチティトラン跡に建設されています。日本で言えば、足利時代から戦国、安土桃山時代にかけてですから、もう中世紀末の近世になろうという時代ですね。ここで、太陽神に生贄の心臓を奉げる儀式が盛んに行われていたとは、時間軸から考えるとちょっと驚きです。また、国家の正当性を主張するために、旧文明の遺跡を発掘して遺物を大切にしていたというのも、支配者の興亡の中で文化が生き残っていくうえで日本にも当てはまりそうです。
 インカといえば、20年も前に友達が京都にインカ料理の店があるというので、行ったことがあります。それからしばらくの間、仲間内では「失敗した!」と言う時には、「インカ!」と言っていましたが、別にインカ文明を揶揄しようというのではありません。この文明も大河はなく、主食はジャガイモという大規模灌漑施設を必要としない、海岸から6,000m級の山岳まで広がった文明です。80もの民族を抱えた国家で「インカ道」が全土に広がっていた様子は、ローマ帝国に似ています。でも、文字を持たなかった点、異民族を支配する場合に明文化した法が必要となるという説には反しています。私は、時間的・空間的に連続しない場合に、獲得した知識・文化を伝達させるため文字が生まれたと考えていますが、最盛期には1,000万の人口を擁したといわれるインカ帝国は、不思議な国家です。
 科学博物館の常設展はとても充実していて、しっかり時間を取っておかないと充分には楽しめません。子供たちは恐竜の化石で大満足でした。科学や歴史と触れ合える施設が身近にあると、地域の教育や文化の充実に大いに寄与します。地域に開放された教育研究機関の積極的な誘致も、考えていくべきではないでしょうか。もちろん、その施設だけの集客力には限界があるので負荷になりがちなので、周辺に相乗効果がある施設を配置していかなければなりません。


 2007年8月13日(月) お盆の入り


仏様にご飯をお供えする子ども達

 曽祖父が「俺が起きた時にお迎えに行く」と言っていたものですから、早朝6時、私に妻、子ども達に叔父叔母、従姉妹に母と総出で、村の墓地へ仏様をお迎えに行きました。小さな子ども達も、お線香で火傷をしたり、蚊に食われたりしながらも、キティちゃんとコロコロクリリンの提灯(蝋燭ではなく電池ですが)を灯して帰ってきました。我が家の門にも1組の「線香立て」と「花立て」を据え、迎え火とは別に線香を立てるのですが、これはうっかり遅れてしまったご先祖様の霊のためだそうです。子ども達も胡瓜や茄子で珍しそうに楽しんで馬を作り、お盆に参加していました。日本独自の文化やご先祖様を大切にする心、伝統を守り人を敬う心。小さい時から無意識のうちに胸に染み込んで行くようにすることが、大切な教育だと思います。
 飾り付けの鬼灯は水を忘れて枯れてしまったものを、セロハンテープで竹に貼り付けてしまいました。ご先祖様、御免なさい。今年は異常気象のためか、庭の蓮が不作で仏様のご飯を乗せる葉っぱが足りません。何とかやりくりしましたが、蓮は丸坊主です。来年は大丈夫でしょうか?


 2007年8月8日(水) お盆の準備


炎天下で「線香立て」と「花立て」を作る。

 旧盆は8月13日に盆に入り、15日に盆送りをします。今日も暑い一日でしたが、庭の竹やぶから青竹を切り出し、ノコギリ片手に父と一緒に「線香立て」と「花立て」を作り、お盆の準備をしました。毎年毎年行っていることですが、何組作るかがいつも曖昧です。今年は「線香立て」と「花立て」組で25組ということで作り始めましたが、節を短く(浅く)取った「線香立て」と長く(深く)取った「花立て」は、途中で必ずどっちかが多くなったり少なくなったり、数が合わなくなってしまいます。組では太さも合わせないと格好が悪いし。それでも今年も、「花立て」が1本足らなくなってしまいました。曽祖父のお墓の前には、「線香立て」2本と「花立て」3本を立てるのですがうっかり忘れていまして。全部作り終えたときには、シャツをギュッと絞ると汗が滴り落ちるほどになりました。
 お盆という行事を、この家で毎年続けて行けるのもご先祖様のお蔭です。私もささやかではありますが、毎晩寝る前にご先祖様にお線香を上げ、一日の感謝と明日のお守りをお願いしています。2人の父母、4人の祖父母、8人の創祖父母と多くの人々から連綿と受け継いできた命を、子ども達へと伝えていくことは人として一つの大切な役割であり、数多くのご先祖様たちの願いでもあると思っています。毎日の仕事に追われ、将来の計画に余念が無い我々も、時に過去の思い出に耽る時があります。もうちょっと遡って、自分が生まれる前まで思いを馳せて感謝する時も必要かなと思います。


 2007年8月7日(火) シワッタナ校の校長先生が越谷を訪問

 埼玉ラオス友好協会の招きで、ラオスのシワッタナ校(Syvatthana School)の校長先生と娘さんの教頭先生が来日されていました。明日の帰国を控えて、送別会が開かれました。お名前は、Syphone Sychanthavongとおっしゃいますが、何と発音するのか?同校は新しい名門校ということで、お役人の子弟が多く学んでいると聞きました。
 写真は、最後に自作の歌を歌う先生方です。以下に、歌詞を掲載してみます。

遠く、遠く離れた
日本から来た心優しい方々が、
ラオスの学生達に贈り物を持ってきてくださいました。

皆様は、ラオスの子ども達が
より良い教育を受けられるよう
幾度も支援してくださいました。
シワッタナ校の学生や教師たちにも、
奨学金を支援してくださいました。

この恩は、一生忘れません。
一生懸命、学校を良くして
皆様が願ったような理想的な学校を創ります。

私達は、埼玉ラオス友好協会の皆様とご家族が、 
ずっと健康で、ずっと幸せであるように願っています。
そして、埼玉ラオス友好協会が、
社会のためにラオスのために
永遠に活動してくださるよう願っています。

校長先生(右)と教頭先生(左)

 言葉はわからなくても、先生方の涙で素晴らしい歌であることは分かりました。是非、ラオスの子ども達が温かく見守られて、優れた教育が受けられる環境を整えて頂きたいと願っています。

 2007年8月5日(日) 真夏のお茶席と幽玄のコンサート


花田苑で真夏のお茶席

 四季の会でいつも野点をしてくださる今出眞里子先生がお茶席をしていると聞いて、花田苑へ出かけました。茹だる様な暑さでしたが、日本庭園には少しでも涼を求める親子連れが幾組か訪れていました。お茶会も、私が着いた時には丁度空いていたのですが、お茶室を出てくると多くの皆さんが並んで待っていらっしゃいました。お茶席では、夏らしい風鈴をかたどったお菓子を頂き、茶器もガラス製のものが使われていました。猛暑のなかで一服の清涼でした。


久伊豆神社の鳥居もライトアップされています。






 午後は、久伊豆神社の修道館ホールで開かれた「宮の杜コンサート」へ、渡辺克也さんのオーボエを聴きに行きました。前回、体調を崩して伺えなかったので楽しみにしていました。会場には渡辺さんのご両親もいらっしゃっていて、私も息子さんと同じ浦高出身ということで暫く歓談させていただきました。渡辺さんは藝大を出てからドイツに渡り、現在はベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団の首席奏者として活躍しています。開演前に私服で挨拶した時には、オーボエを持っていても何か学生のような頼りなげな印象だったのですが、着替えて壇上に立ったときには一挙に10歳も年を経たようで堂々とし、声まで朗々として自信にあふれた様子で驚きました。ショパンのノクターン、亜麻色の髪の乙女といった良く知った曲、山田耕作などの日本の曲が演奏されました。オーボエというちょっと馴染みのない楽器で「雪の降る町を」を聴いていると、季節違いという訳ではなくちょっと不思議な気分になりました。最後は、パスクリというオーボエ奏者作曲のオーボエのための協奏曲でしたが、初めて聴く曲なのでオーボエの巧みな演奏に感激しました。演奏の最中には、雷が鳴り始め雷雨も少し降ったようですが、会場を出ると夕闇が訪れており、神社も「幽玄」といった雰囲気につつまれておりました。


宮の杜コンサートの掲示板

 夕刻からは登戸自治会の納涼会へ伺いました。登戸は、妻が子どもの頃に住んでいたため知り合いも多い地区です。昨日は暑い夜で、納涼会や盆踊りも6ヵ所ほど伺って忙しい一日でしたが、今日は恵の雨のせいで一転して涼しい夜となりました。でも、雨が降ったためにお神輿は慌ててしまってしまったそうです。


 2007年8月1日(水) 新潟中越沖地震救済募金活動


越谷駅東口でも募金活動に協力を呼びかけました。

せんげん台駅東口で演説する伊藤副議長。
 越谷市内の各駅、せんげん台駅東口、北越谷駅東口、越谷駅東口並びに蒲生駅東口にて、自民党越谷支部の月例街宣活動と一緒に、新潟中越沖地震の被災者救援のために街頭募金を呼びかけました。多くの市民の皆さんにご協力頂き、89,793円の浄財が集まりました。この募金は、日本赤十字社を通じて被災地に届けさせていただきました。有難うございました。
 街頭演説では、歴史的大敗と表現された参議院議員選挙の結果について、自民党として国政における「政治と金」の問題についてけじめを着け、党の再生をしていく覚悟であると訴えました。地方議員の皆さんが日々積み上げてきた有権者からの信頼を、中央政府の一部政治家の不正行為や失言によって一挙に崩されてしった事態には憤りを感じます。また、国政選挙における一部マスコミの報道姿勢についても疑問を感じました。報道内容の真偽ではなく、ニュースとして採り上げる、採り上げないという選別もあります。細々かもしれませんが、皆さんの身近な市政について、しっかりと情報を伝えていく努力をしていかなければならないと感じています。