2007年12月30日(日) 弥十郎稲荷神社御霊入れ式


新築なった弥十郎稲荷神社
 午前11時、弥十郎稲荷神社の御霊入れ式に出席いたしました。産業道路沿いにありますが、松や杉の木立に囲まれて昔のままの佇まいといった風景です。境内には、大正12年建立の鳥居、慶応3年の銘が入った手水石、文久3年の御神灯と、昭和7年の親子狐の石像などがあり、歴史を感じさせます。
 今回は、拝殿の後ろに位置している奥の院を建て替えたため、工事中に一時移されていたご神体を改めて安置する儀式を執り行うわけです。工事は宮大工ではなく一般の大工さんが手がけたそうで、他の仕事ができずに苦労されたとの事でしたが、立派に再建されていました。銅葺き屋根もできる方が少なく、松伏町から来ていただいたそうです。文化を守っていくにも、技術を伝承している方が少なくなっていく現状が心配です。需要が少なくなれば、伝統的技術は徐々に廃れ、技術が消えていけば日本の伝統文化も衰退していく道理です。一方、私も御霊入れ式というのは初めて拝見したのですが、若い奉仕会の皆さんが真面目に、奥の院に納める像や器物を拭き清めている姿は、文化が伝承されていく姿にも重なりました。
 今日は、午前中は暖かい日和でしたが、午後からは空が雪でも降りそうな雲に覆われ、玉串を吹き散らすほどの突風も吹き荒れて、すっかり冷え込んできました。しかし、開け放たれた拝殿で地元の皆さんと、お神酒を前にいろいろな話を聞くことができました。弥十郎稲荷神社にも、伝承された様々な行事があったようですが、今も行われているのでしょうか?我が家でも、子どものころ行っていたが、止めてしまった年中行事が幾つか有ります。忘れないうちに復活させて、子ども達に伝えて行きたいとも思いますが、面倒を背負わせることになってしまうんでしょうか?


 2007年12月29日(土) ファイブスターズ忘年会

 暮れも押し詰まりましたが、ファイブスターズ野球部の忘年会がありました。今年は初めて越谷市野球連盟一部に昇格し、春季大会は1勝1敗、秋季大会は3勝1敗で3位、出羽大会では二部の春は3勝して優勝、秋は1勝1敗で来季は一部に昇格と、非常に良い成績を残すことができました。練習試合など含めた今期の総合成績は、15勝5敗と充実した一年だったと思います。私も、何試合か出場してヒットも打つことができたし、守備も経験できたし。ただし、終盤はあまり参加できなかったので、来年はもっとチャンスを掴みたいと思います。身体を動かすのは、やっぱり楽しいから。


ファイブスターズ忘年会:
右端が島津監督

ファイブスターズ忘年会:
右奥から2番目が浜村キャプテン


 2007年12月22日(土) 自民党越谷支部定例街宣活動

 12月議会も閉会し、朝10時から今年最後の定例街宣活動を行いました。松沢県議、伊藤市議、島田市議、金井市議そして清水副支部長と一緒に、せんげん台駅東口、北越谷駅東口とまわったところで、伊藤、島田両市議とは所用で別れ、越谷駅東口では浅井市議が合流しました。雨模様でしたので、時に傘を差しながらの街宣でしたが、政権与党としては国政における閣僚らの国民の不信を買うような発言は真摯に反省し、信頼回復に努めなければなりません。
 私も、金井市議の恨めしそうな視線に耐えて、越谷駅でみんなと別れ、地元大袋は恩間にある(有)村田スプリング製作所、「倉庫の二階」へ、妻と幼稚園の次女を連れて向かいました。先日の産業フェスタで村田社長とお会いし、「倉庫の二階」について聞いていました。もう、36回目という落語や漫才などの興業が、本当に「倉庫の二階」で行われていました。お客さんは、リピーターが多いんでしょうかね。次女は退屈するかと思っていましたが、落語の一節を覚えて今も盛んに使っています。私は学生時代に、古典落語の本を買っていろいろと読んだ事があるので、大体の筋や落ちは承知しているのですが、やっぱり聞いたほうが面白いね。落語は立川流の二ツ目の方々でしたが、漫才を演じた「米粒写経」というコンビが、翌日のTVにちょっとだけ写っていたので驚きました。前日に生で見ていなかったら気がつかなかったと思うけれど、なかなか勢いのある面白い漫才でした。月1回の興業のようですが、近い(歩いて10分未満)ので時間があったら、また覗いてみたいと思います。


北越谷駅東口で、雨中の街宣活動



 2007年12月19日(水) 大袋駅朝の挨拶・お餅つき大会


力を入れ過ぎたみたい。
 今朝は、地元大袋駅では今年最後となる駅頭を行いました。朝日が昇ってくるにつれて、冬の低い日差しが直撃して暖かいのですが、眩しい朝の挨拶になりました。来年の最初の朝の挨拶も、大袋駅から始める予定です。
 今日は大袋幼稚園で、去年に続いてお餅つき大会に参加しました。「お父さんの会」も何人か参加して、PTAのお母さん達、園児のお祖父さんやお祖母さん達と一緒にお手伝いです。男の人はつき担当、女の人はお餅をかえす担当とこねたり丸めたりする担当です。体育館に4つの臼を据えて、全園児を2組に分けて2回お餅をつきます。年長さんが実習でつくったもち米を材料にして、子ども達に、粒々したもち米が形のない粘々したお餅の塊に変わるところを見せます。

 一臼当たりの米の量が少なかったので、最初のこねは楽でしたが力を込めてつくと臼を直接打っている感触で、すごい音ばかり響いてしまいました。子ども達は、「すごい力持ち」と感心してくれましたが、かえし役は怖がってしまったみたいで、反省。臼の縁を叩いてしまうと木屑が入ってしまうので、杵コントロールには気をつけていましたが。つき終ってから、子ども達全員に手を添えてつかせましたが、20?30人以上にもなるのでお餅は冷めて固くなり始めてしまいます。

次女の千鞠と一緒にお餅つき


 でも職員室で頂いた、お母さんたちが作ってくれた辛味餅、あんころ餅、きな粉餅は柔らかくて美味しかった!園児たちにも、良い経験になったと思います。次女の千鞠は昨年に続いて2回目でしたが、我が家でも今は餅つき器ですから末っ子の皓志郎は、臼と杵での餅つきは始めてかもしれません。年末年始にお餅つきをしている自治会も幾つかありますが、家庭では経験できなくなっているのでとっても良い行事ですね。


 2007年12月15日(土) (社)越谷青年会議所卒業例会・伊藤治副議長市政報告会


青山久志理事長、最後の挨拶
 いよいよ今年も終わりに近づき、(社)越谷青年会議所(JC)も今年度最後の卒業例会を迎えました。会場は、浅草ビューホテルです。今年度の卒業生は昭和42年生まれですが、同い年の青山久志理事長は直前理事長として居残るため、5名がJCから巣立つことになります。私は、光栄ではありましたがショックなことに、出席した理事長経験者中で最年長、担当の市川委員長に言わせると「最もお歳を召した方」ということで、乾杯のご指名を頂きました。理事長を経験された先輩諸兄、年末でお忙しいとは思いますが、知っているメンバーも少なくなったとは思いますが、卒業例会にご出席をお願いします。
 さて、初めて都内のホテルで卒業例会を行ったのは、確か1988年、私は15周年実行委員会の副委員長で、卒業例会も担当していました。当時の赤坂プリンスホテルで卒業例会を開こうと企画したのですが、会費が1万円以上かかるため理事会で反対されるのではと心配し、12月の例会企画を協議事項として夏前に提案したことを覚えています。今は当たり前に行っていることでも、初めての時には苦労して工夫して実現したものなんです。JCで使っている様々な書式、例会次第、定款や会則、事業のマニュアル、何気ないものでもみんな先輩たちが考え、実行して伝えてきたものです。今日の卒業生たちも長い短いはあっても、JCで何かをなし何かを残してきたはずです。JCメンバーには、それを守り伝えて行ってください。などと話していたら、目の前に座っていた沢田OB会長が、「ビールが温まるから早くしろ」と頻りにサインを送るので、皆さんにご起立願って乾杯としました。
 心残りではありましたが例会は途中で退席し、つくばエクスプレス浅草駅から北千住で乗り換え、新越谷へ向かいました。浅草ビューホテルから東武線浅草駅まで歩ってたら間に合わないと思ってたら、ホテルのすぐ前がつくばエクスプレスの駅だとは知りませんでした。新越谷駅からサンシティへ向かい、伊藤治副議長の市政報告会へ1時間ほど遅れて出席しました。父も久し振りに出席していて、先代の時からお世話になってきた蒲生東町の方々と旧交を温めていました。私も、花見だ、餅つきだと呼んで頂き、有り難うございます。「伊藤市議とは、皆さん一人一人の幸せを大事にする町をつくろうと考えている盟友です」と、挨拶させて頂きました。若い力を集めて、我がふるさと越谷を変えていかなければなりません。


 2007年12月14日(金) 日本分子生物学会


「片倉三人娘」だそうです。
 今年の日本分子生物学会(分生)は、パシフィコ横浜で開催されました。分生は片倉工業の生物科学研究所に勤めていた頃、神戸でポスター発表して以来ですから3年ぶりの参加です。もっとも、11日から開催されていて、15日までですからもう終わりそうです。片倉時代の同僚が始めて学会で発表するというので出かけて行ったのですが、17時15分から18時15分までの説明時間なのに、会場についたのが18時でしたからね。他の質問者に応対している様子を見て、「立派になったものだ、フムフム」と冷やかし半分で見ているうちに終了となってしまいました。
 内容は、私も手掛けて三重大と共同研究を行い、特許をまとめて出願したドックリンタグというアフィニティータグについてでした。ドックリンタグは、セルロース分解細菌であるクロストリジウム属がもつ、セルロソームという複合体を構成するドックリンドメインとコヘシンドメインの特異的な結合を利用して、組換えタンパク質を精製するシステムです。簡単に言えば、遺伝子組換えによって目的タンパク質にドックリンを結合してタグとして発現させ、一方では遺伝子組み換えによって生産したコヘシンを精製用担体に共有結合させ、その担体のコヘシンにドックリンタグを特異的に結合させて洗浄し、不純物を取り除いて溶出し精製するという仕掛けです。
 しかし、私がいじくっていた頃は未だ使い勝手が悪く、コヘシン担体には非常に特異的に結合するのですが、なかなか溶出してこないという欠点がありました。溶出には、4℃で一晩(16時間)を要しましたから。そこで、私の優秀なる後継者達は、ドックリンのCaポケットのアミノ酸を1個変異させ、1時間で溶出する改変型ドックリンを作成したそうです。ドックリンーコヘシン結合にはCaイオンが必要で、溶出にはキレート剤であるEGTA等を用いてCaイオンを取り除くのですが、Caポケットの変異によって、Caイオンが結合に影響が無い範囲で外れやすくなったということのようです。話を聞くと、かなりの確立で当たりの変異を引いたようで、勘というか引きの強さって言うのも研究者には欠かせない要素なんですよね。
 バッチ精製でも純度は90%以上になり、界面活性剤も一部のイオン性界面活性剤を除けば使用可能ということで、来年にはドックリンベクターとコヘシン担体を販売したいそうです。ドックリンタグは確か国際出願しましたが、いろいろと先行文献を指摘されて防衛に頭を悩ませていた記憶があります。改変して随分進歩したから、今度は大丈夫かなぁ。写真は、自称?「片倉三人娘」です。若いお嬢様達なので、ストーカー被害に会わないように名前は伏せさせて頂きますが、それぞれ、「セルロソームを利用した新規アフィニティータグシステムの開発」(1)、(2)、(3)の演題でポスターを並べて発表をしました。たくさん売れて儲かるといいんだけど、製造に忙しくなるのも考えものだね。
 私が突然退職したので迷惑した同僚もたくさんいたようですが、愚痴を言いながらも元気で仕事を進めているようなので安心しました。ポスターの中には、未だに私が作った図や撮った写真が使われていたりして、懐かしくもありました。誰をどう騙したのか、ビアコアという表面プラズモン共鳴法を用いた測定装置(2,000万くらいはするでしょうか)も買い、今回の研究には随分活用していました。気前の良かった私も、あの頃は元が取れる使い道を思いつかず、さすがに買えなかったものね。200万、300万以下のものを買って使いこなすのは得意だったけれど、貧乏性だったのかなぁ。
 数時間のことでしたが、いろいろと話が聴けて楽しく有意義な時間を過ごすことができました。横浜まで行った甲斐があったというものです。


 2007年12月13日(木) 倫理法人会東南地区忘年会


ビンゴで盛り上がる倫理法人会東南地区忘年会
 17時、「がんばろう日本!」の戸田代表が来越し、白川市議の事務所で臨時の勉強会が開かれました。6日には市ヶ谷で「がんばろう日本!」の望年会があり、11日には同じく白川事務所で機関紙「日本再生」の読者会がありと、このところ勉強する機会が多くて。3回を通じて感じたことは、2.26事件(1936年)の直前2月20日の第18回総選挙で二大政党に近い形ができていたこと。現在の政治的状況を常に歴史の中で、認識して位置付けていく意識があれば、同じ轍は踏まないで済むのかもしれない。また、読者会では特に中国についていろいろと意見交換をし、日本というレベルではなく越谷市の経済活動や産業振興も、グローバル経済を念頭において政策を考えていかなければならないと考えさせられました。中国は沿岸部だけではなく、内陸部まで積極的に外国企業の誘致を進め、2,000万人といわれる富裕層を生み出している。中国が世界の一極となったとき、欧米との狭間で日本はどんな社会を造っていくべきか?その日本において、越谷がどんな役割を担っていくべきか?このまま、今のままでいられるはずはありません。
 勉強会は途中で失礼し、19時からは倫理法人会東南地区の忘年会が越谷市倫理法人会を幹事として開かれました。原田親睦委員長が幹事で、私は副委員長なのに何もせず、せめてものお詫びに受付と会費の徴収を担当いたしました。草加、八潮、三郷、吉川・松伏、春日部と近隣から倫理法人会役員の皆さんが集まり、一応?会議もあり懇親も深めました。でも、一番盛り上がったのはビンゴ・ゲームとジャンケン・ゲームでしたね。私も、立ったり座ったり席も決まらない状況だった割には、賞品や賞金を獲得できラッキーでした。モーニング・セミナーという朝のお勤めをサボりがちなので、夜のお勤めくらいはちゃんとやっておかないと。


 2007年12月5日(水) 尾上劇団公演に倫理連が参加


打楽器を除く、鳴り物隊の練習

 今日は、朝7時から北越谷駅西口で朝の挨拶を行いました。西口は久しぶりだったのですが、後から駆けつけてくれた金井市議と一緒に、寒かったけれど元気に挨拶。
 10時半には老人福祉センターゆりのき荘へ向かい、尾上劇団の公演と合流する準備に入りました。11時には客演の土屋義彦元埼玉県知事がいらっしゃるとのことなので、みんな大急ぎで着替え、最後の挨拶の練習などをしました。これまで、合同で練習したことは全く無かったので。
 倫理連の阿波踊りは初っ端だったので、公演はいきなり賑やかに始まりました。詩吟や歌謡曲などの出し物に加えて、今回は「銀座カンカン娘」という新しい賑やかな歌も加わっていました。土屋先生の十八番のハーモニカに合わせて、みんなで童謡などを合唱して、会場は楽しく盛り上がってきました。私も尾上劇団の丸山会長のご好意で、土屋先生への花束贈呈をさせて頂き、土屋先生の「おや、あなたはどなたですか?」という問いに答えて、自己紹介させて頂きました。先生、いつも気に掛けていただいて有り難うございます。


尾上劇団「岸壁の母」

 演劇は、尾上劇団による「一本刀土俵入り」や「岸壁の母」で、特に「岸壁の母」は尾上劇団メンバー総出演の趣向を凝らした演出で、会場の笑いと涙を誘っていました。最後にはまた流し踊りを披露し、会場からも参加していただき、にぎやかに公演を終えることができました。室内で多くの皆さんの前で阿波踊りを披露するのは初めてでしたが、皆さんに楽しんでいただけたようでホッとしています。これで、今年の倫理連の活動は「忘年会」を残すのみです。
 最後になりましたが、お世話になりました尾上劇団会長の丸山様、座長の加藤様には心から御礼申し上げます。


 2007年12月2日(日) お餅つき・鴨ネギ・蕎麦打ち


上間久里東自治会のお餅つき

鴨ネギ鍋の新キャラクター「ガーヤちゃん」と
記念写真
 朝9時、今年最初の「お餅つき」下間久里東自治会におじゃましました。お天気は良かったのですが流石に底冷えがしていて、最初に丼なみなみと頂いた豚汁はご馳走でした。もち米は地面に掘った竈で蒸かし、最初から臼と杵で搗いていました。搗き手もたくさんいたようですが、朝早くからお疲れさまでした。野菜の直売もしていましたが、やっぱり人気でしたね。お餅も、写真のように大変な行列でした。
 午前10時前、昨日に引き続いて総合体育館を訪れましたが、開場前にもかかわらず歩道にまで鴨ネギ鍋の行列ができていました。先ずは、新聞にも紹介されていた商工会女性部が開発?した「鴨ネギ饅頭」を2つ買ってその場で1つ試食。「全部鴨肉だけど細かく刻み過ぎたかもしれない」と言ってましたが、確かに大振りな肉片も有った方が「鴨だ!」という感じがあったかも。でも、中華街で売っても良いほど美味しかった。ただし、鴨肉が高いので原価がかかるのが問題だそうです。
 鴨ネギ鍋を待つ行列は、既に千代田橋を越えて続いています。今年は新キャラクターの「ガーヤちゃん」の着グルミが登場し、直径2m重さ1,200kgの大鍋も新しく作ったものです。昨年までは、鍋はレンタルしていました。鴨ネギ鍋は、5,000人分、ネギ2,000本、鴨肉200kgを使用しているそうです。商工会青年部では、経済産業省から補助金をもらっているそうですが、固定資産になるものには使用できないので、着グルミや大鍋には使えないそうです。
 私も昔、経済産業省に関係したプロジェクトで仕事をしていましたが、固定資産になる高額な装置などは、プロジェクト終了後に償却残額で買取りになりました。私達は、6年のプロジェクトだったので残額はほとんどなくなりましたが、青年部は単年度の補助金らしいので、当該年度終了後も使用する固定資産には使用できないようです。補助金は単年度でも、事業はその後も続いていかなければ補助した意義がないわけですから、使い勝手が良いものに変えられないでしょうか。肝心のお味は、後から別々にソテーして加える鴨肉と長ネギが大正解で、美味しく頂きました。長ネギをフライパンで料理していた方は、イタリア料理のシェフだとか。昨年は食べられなかったのですが、聞いたところでは味もバージョンアップしたそうです。
 今日は展示していた農作物も販売しており、大変な賑わいでした。JA越谷の島村組合長に話を聞くと、毎回、早朝から野菜を買うために体育館玄関に並ぶ人がいるとか。産業フェスタ2日目になると、会場の農産物は直ぐに空っぽになってしまいます。今年から、2日目に訪れた方も見学できるように、作物栽培の様子など展示パネルも掲示し始めたそうです。ここでも、地場産野菜は人気です。建設業協会でも天ぷらそばをご馳走になったので、お腹が一杯になってしまいました。
 今年の産業フェスタは、初日はそれほどでもありませんでしたが、2日目に来場者が多く、2日間で15万人にのぼったそうです。

産業フェスタの会場風景

鴨ネギ饅頭をつくる商工会女性部の皆さん

新調した大鍋

 正午ちょっと前、大相模のディケア施設「野の花」で、餅つきの手伝いに参加しました。お母さん方や地元の方々が朝からお手伝いに集まり、もち米を蒸かし、餅つき器でちょっと捏ねてから、臼と杵でつきあげて行きました。野の花でも豚汁とお餅をご馳走になりましたが、遠慮して餅つきで腹ごなしをしなければなりません。男4〜5人で代わる代わる、杵を持ち、私も3臼搗かせてもらいましたが、先に捏ねてあるので随分楽でした。でも、5日くらいは右腕が筋肉痛でしたが。

もち米を蒸かす(野の花)

お餅を搗く(野の花)

 午後1時、沼田自治会で蕎麦打ち会がありました。お餅つきのお蔭で少しお腹にも余裕が生まれていましたが、産業フェスタで建設業協会でも天ぷら蕎麦をご馳走になったので、蕎麦は2杯目。不揃いな蕎麦達は結構、味がありましたが、やっぱりお腹は一杯。素人考えですが、蕎麦打ちは、根気良く揃えて細く切るところと茹で加減が鍵のですよね。出席の皆さんには、「越谷のまちづくりを語る会」署名活動にも、賛同していただきました。この後は、北部市民会館でカラオケ大会の挨拶をさせて頂いたりもしましたが、もう食べるイベントはなかったので一安心でした。


 2007年12月1日(土) 地下道清掃・愛隣幼稚園新園舎落成式


大袋駅の地下道清掃
 朝10時に大袋タジマ前に集合し、大袋駅北側地下道の清掃をしました。地域の方、大袋中、大袋東小、大袋小PTA、先生方、子ども達と土曜の寒い朝にもかかわらず、多くの人が集まりました。掃除を始めて驚くのは、吐き捨てられているガムの多さですね。階段部分も通路に、一面にガムだらけ。お好み焼きのコテみたいなもので剥がして行くのですが、ぺロッと上手く剥がれるものも有れば、少しずつしか削れない頑固者も。古くなって乾燥した方が取れやすいのだろうか?それにしても、ガムを噛んでいる人を見かける割合、紙に包まずに吐き捨てる人の割合、しかも地下道で、と考えるとこんなに多くなるのか?地下道で誰も見ていないと、つい足元へ「ペッ!」という心理が働くものなのか?いずれにせよ、寒い中、水を流しながらの清掃活動を手伝ってくれた子ども達は、ガムもゴミも、道端へ捨てるなんてことはないでしょう。
 午後には、大熊学園愛隣幼稚園の新園舎完成祝賀会に出席しました。愛隣幼稚園は、市内5番目の幼稚園として昭和41年に設立され、今年で42年目になるそうです。現理事長の大熊進先生にも、先代の故大熊勝司様にも、父の代からとってもお世話になってきました。私にも挨拶のお時間を頂いたので、ソーラーパネルを供えた冷暖房完備の地中海にでもありそうな綺麗な赤い園舎を見て、今の子ども達が羨ましいとお話しました。私たちのころは、冬は寒く夏は暑いのが当たり前でしたから。でも、幼稚園で上級生と積み木の取り合いをして泣かされた事や、スクールバスを待ちながら女の子のスカートまくりをしていた事は今でもハッキリ覚えています。と、話したら前に座っているお年を召した先生方はニコニコされていました。幼稚園より前の記憶は断片的なんですが、幼稚園から後の記憶は、結構ストーリーになって覚えています。
 幼稚園の時に曽祖父が急に亡くなって、休みなので母の実家に泊まりに行っていた私達兄弟は、夜中に起こされて自動車に乗せられ、越谷まで帰ってきました。その時、薄暗い部屋の真ん中に寝かされていた曽祖父の唇に、脱脂綿に水を含ませて死に水を取らせた事は、セピア色の部屋の風景とともに今でも手の感触まで思い出すほど、ハッキリとした記憶として残っています。初めての、身内の死だったせいもあるでしょうが。
 子ども達が自分の思い出の記憶を作り始める時期が、ちょうど幼稚園に当たると思います。その大切な時期を預かる幼稚園、幼児教育の重要さ、子どもの人生への影響は大きなものがあります。新園舎で、越谷の幼児教育に、ますます大きな貢献をお願いしたいとお思います。教職員の皆さんの記念写真を撮ったので、若いお嬢さん達の集合に、思わず私もシャッターを切ってしまいました。越谷太鼓の皆さんの写真も、もちろん若いお嬢さん達、だからです。


愛隣幼稚園の教職員の皆さん

ここでも越谷太鼓